現代小説最高峰の作品ユリシーズ!

今回は現代小説の最高峰と呼ばれているジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」(1922)について、現代小説とは何か、ユリシーズの簡単な解説をまとめていきます。

新しい文体を創始し、表現の可能性の極限に迫ったといわれるジェイムズ・ジョイスの傑作。

難解な文学作品として「ユリシーズ」ほど名前を知られているものはありません。

現代小説とは

現代小説とは、現代社会を舞台に書かれた小説のこと

つまりユリシーズはジェイムズ・ジョイスが生きた1900年代-を舞台に物語が進んでいる

ジェイムズ・ジョイスとは

ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce、1882年2月2日 – 1941年1月13日)は、20世紀の最も重要な作家の1人と評価されるアイルランド出身の小説家、詩人。画期的な小説『ユリシーズ』(1922年)が最もよく知られており、他の主要作品には短編集『ダブリン市民』(1914年)、『若き芸術家の肖像』(1916年)、『フィネガンズ・ウェイク』(1939年)などがある。

ジョイスは青年期以降の生涯の大半を国外で費やしているが、ジョイスのすべての小説の舞台やその主題の多くがアイルランドでの経験を基礎においている。彼の作品世界はダブリンに根差しており、家庭生活や学生時代のできごとや友人(および敵)が反映されている。そのため、英語圏のあらゆる偉大なモダニストのうちでも、ジョイスは最もコスモポリタン的であると同時に最もローカルな作家という特異な位置を占めることとなった。

-wikipedia引用

「ユリシーズ」の特徴

・登場人物を丹念に描写していること

・他の文学作品や芸術作品にそれとなく触れた箇所が多いこと

・言葉の斬新な使い方に溢れていること

J・ジョイスは全編を通じて、文学のジャンルや形式を脚本や広告文から古英語に到るまで変幻自在に操っています。

この小説で最も有名なのは、意識の流れという叙述技法を大々的に使っていることです。

この意識の流れという叙述技法によって「ユリシーズ」では登場人物が心の中で思ったことを順序づけたり整理したりせず、そのままの形で提示しようとしています。

この技法はモダニズム文学の特徴となり、ヴァージニア・ウルフ、ウィリアム・フォークナーなど多数の作家に影響を与えました。

当然のことながら登場人物が心の中で思ったことを順序づけたり整理したりせず、そのままの形で提示した技法は読者にとって読み進めるのが難しく、中でも「ユリシーズ」の最終章は「趣味」として読むことはかなり大変です。

「ユリシーズ」最終章はブルームの妻モリーの心のうちが綴られています。

当て所なく永遠と続くモリーの思いは2万4000語を超えますが、それがわずか8つの長大な文で区切られているだけです。

読みづらい「ユリシーズ」最終章でジョイスはモリーの心情を実に見事に描写しています。

とりわけ最後の数行では、モリーが浮気をしていても本心では夫を愛していることが次のように語られています。

 

「それで彼私にいいのかいって聞いたのyes山に咲くぼくの花よyesと言っておくれっていうから私まず彼の背中に両腕を回してyes彼に抱き寄せて私の胸を押し付けたらいい匂いがしてyes彼の心臓ものすごくドキドキしててyesあたしは言ったのyesいいわよってYes。」

この最後の数行を読むだけで「ユリシーズ」の読みにくさがわかると思います。

ぜひ現代小説最高峰の「ユリシーズ」に興味が出た方は一読してみてはいかがでしょうか。

ユリシーズの詳しい説明

『ユリシーズ』

1906年に『ダブリン市民』を完成させたジョイスは、レオポルド・ブルームという名のユダヤ人広告取りを主人公とする「ユリシーズ」というタイトルの短篇をそれに追加することを考えた。この計画は続行されなかったが、1914年にはタイトルと基本構想を同じくする長編小説に取り組みはじめる。1921年10月に執筆を終えたのち校正刷りに3ヶ月かけて取り組み、自ら定めた締め切りである40歳の誕生日(1922年2月2日)の直前に完成させた。
エズラ・パウンドの尽力により、1918年から「The Little Review」誌での連載が開始。この雑誌は同時代の実験的な芸術や文学に関心を寄せるニューヨークの弁護士ジョン・クインの支援のもとにマーガレット・アンダーソンとジョン・ヒープによって編集されたものである。『ユリシーズ』はアメリカ合衆国で検閲に引っかかり、1921年に猥褻文書頒布の咎でアンダーソンとヒープに有罪判決が下ったのを受けて連載は中断の憂き目に会う。アメリカで発禁処分が解かれるのは1933年のことである。
この一件も手伝い、ジョイスは『ユリシーズ』の単行本化を引き受けてくれる出版社を見つけるのは困難であることに気づいたが、1922年にはパリ左岸でシルヴィア・ビーチの経営するシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から上梓することができた。時期をほぼ同じくして T・S・エリオットの詩『荒地』(“Waste Land”)が刊行されていることから、この1922年という年は英文学におけるモダニズムの歴史上とりわけ重要なメルクマールであるといえる。ジョイスのパトロンの一人ハリエット・ショー・ウィーヴァーによって出版された英語版はさらなる困難に直面した。アメリカ合衆国へ出荷された500部が米国政府当局によって押収ののち破棄されたのである。翌年、ジョン・ロドカー(John Rodker)は押収されたものの代わりに新しく500部増刷したが、これらもフォークストン(Folkestone)でイギリスの税関によって焼却処分された。この本が発禁書という不明瞭な法的立場に置かれたため、やがていくつもの「海賊版」が登場することとなった。これらの海賊版の中でも特に有名なものはアメリカの悪徳出版業者サミュエル・ロス(Samuel Roth)によって刊行されたものである。1928年に裁判所から出た禁止命令によって出版を取り止めたロスは刑務所へ送られることとなったが、罪状がやはり猥褻罪であり著作権侵害ではなかったところにもこの本の置かれた立場の微妙さが見て取れる(なおロスはこのさい『進行中の作品』の仮題で連載が開始されていた『フィネガンズ・ウェイク』も同時に盗用している)。

1922年の初版のカバー

『ユリシーズ』において、ジョイスは登場人物を表現するために意識の流れ、パロディ、ジョーク、その他ありとあらゆる文学的手法を駆使した。1904年6月16日という一日のあいだに起きる出来事を扱ったこの小説の中に、ジョイスはホメロスの『オデュッセイア』の登場人物や事件を現代のダブリンへ持ち込んだ。オデュッセウス(ユリシーズはその英語形)、ペネロペ、テレマコスはそれぞれ登場人物レオポルド・ブルーム、その妻モリー・ブルーム、スティーヴン・ディーダラスによって代置され、神話中の高貴なモデルとパロディ的に対比される。この本はダブリンの生活およびそこに満ちた汚穢と退屈さを余すところなく踏査している。ジョイス自身も「たとえダブリンが大災害で壊滅しても、この本をモデルにすればレンガの一個一個に至るまで再現できるだろう」と豪語するほどの自信をもっていた。ダブリンに愛想を尽かして故郷を捨てたジョイスだが、この街への郷愁なしにここまで完璧な細密画を描くことは不可能であり、ダブリンに対して愛憎半ばするジョイスのアンビヴァレンスが窺われる。ダブリンの描写をこのレベルまで仕上げるためには、ダブリンのすべての居住用・商業用建築の所有者や入居者を網羅した『Thom’s Directory』(1904年版)という本が活用された。また、それ以外にも情報や説明を求めたジョイスはまだダブリンに住んでいる友人たちを質問攻めにしてもいる。
この本は全18章からなる。それぞれの章がおよそ1時間の出来事を扱っており、午前8時ごろから始まって翌朝の午前2時過ぎに終わる。また1章ごとに異なる全部で18通りの文体が用いられているだけでなく、『オデュッセイア』で語られる18のエピソード、これと関連する18種類の色、学問や技術、身体器官が適用・言及される。これらの組み合わせによって形成される作品全体の万華鏡的な梗概(「ゴーマン・ギルバート計画表」)は、この本が20世紀のモダニズム文学の発展に対して寄与した最も大きな貢献の一つに数えられる。他の注目すべき点としては、準拠枠としての古典的な神話の使用や、重要な事件の多くが登場人物の胸中において起きるというこの本の細部に対する強迫観念にも近い執着などが挙げられる。しかしながらジョイスは「私は『ユリシーズ』を過剰に体系化してしまったかもしれない」と述べ、ホメロスから借用した章題を削除したりもしており、『オデュッセイア』との照応関係はさほど重視していなかった節もある。

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